わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★祝福された時間がある

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

(ヨハネの黙示録3:20)

ここに、イエスさまがわたしと向き合ってくださる。わたしもイエスさまに向き合って親しく食事を共にするというありさまが描かれています。

門をたたくイエスさま。迎え入れるわたし。わたしに向き合って親しく食事を共にするイエスさま。イエスさまに顔を向けて親しく食事をする自分です。

決して一方通行で終わらない、祝福された交わりの時間が、ここに描かれています。

想えば、イエスさまを知ってからも、どこか心の戸のノブを握りしめてゆずらない。中途半端な迎え方をしてイエスさまを内までで迎えいれていない、そんな自分に気づくことがはないでしょうか。

直前に「だから、熱心に努めよ。悔い改めよ」と語られます。心を開いてイエスさまを迎え入れるとき、そこにとても祝福された時間と世界の経験があるのです。

  • 祈り 主よ、わたしはどこか中途半端で、あなたにすべてを明け渡していないことに木津事があります。あなたは戸を叩き、御声をかけてくださっています。主よ心を開いてあなたを迎え入れます、あなたと共に過ごす時間でわたしのすべてを満たしてください。
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