見よ、その日が来ればと主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
(アモス書8:11)

今、聖書を手にし読むことができることが、どれほど幸いなことでしょうか。
聖霊によって心が開かれ、語られこと、聞くことで、わたしたちは気づきをいただくことができます。
しかしこの恵みを放棄し、神の御声に耳をふさぐことを続けることで、語る者がいなくなる、聞くことができなくなる…、そういう状況に覆われます。
罪の結果は深刻です。
かつてイスラエルの民はそういう経験をしたことがわかります。
今、わたしたちの心も探られるのではないでしょうか。
- 祈り 主よ、今日もあなたの御言葉を聞くことができる幸いを心から感謝します。これは当たり前ではなく、あなたがわたしに下さる恵みです。どうか御言葉に聞くことを、わたしの心と人生で手放すことがないように、守ってください。

