世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
(コリント人への第一の手紙1:21)

神さまは、人の側の持てるものによる救いの可能性をいっさい退けます。人の持つ知恵や知識や哲学、修行や地位や富によって人が救われることはないと。
ただ宣教を通して聞き、受け取る福音とそれを信じることで救われることを良しとされました。
だれでも、自分に頼らず、神からいただくこの恵みを受け取るならば救われる。それが”神の知恵”です。
だから、誰も自分を誇る必要はなく、ただ感謝しかない。
すべて「神によって」、だから、だれの前でも謙虚になれるのです。
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。あなたのくださる救いの福音を心から感謝します。すべてはあなたからいただきました。ただあなたを喜び、誇りとして感謝し、だれの前にも謙虚であることができますように、神の知恵のもとにへりくだらせてください。

