「今、お前たちは、この神殿を 廃墟のままにしておきながら 自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。…」
(ハガイ書1:4)

ここでは、二つのことがつながっています。
ひとつは、自分たちの生活の充実に強い関心と時間が注がれている。
一方で、もう一つのこと。神さまへの関心が薄れてしまい、おざなりになっている…ということです。
神さまの不思議な御手で異国での捕囚生活から解放され、自国で国と生活を立て直す。その中心にあるべきは神さまへの礼拝と祝福のはずでした。たしかに最初はそう思っていました。それが、いつの間にか後回しにされて、それで当たり前になっていたのです。
わたしたちにとっては、救われてのちの生活のことを示しているのでしょう。
イエスさまの言葉を思い起こします。
…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:32-33)
- 祈り 天地の造り主。そしてわたしの歩みに関心を向けてくださっている神さま、今日の御言葉がわたしの心に届きました。わたしの日常とこの思いを探ってください。あなたを心に迎え、生活の中心に置き、祈りと御言葉、賛美と礼拝がわたしの生活の中心にあるよう導いてください。

