それどころか、からだのなかで他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
(コリント人への第一の手紙12:22)
どんなに部分が際立っても、すべての部分がつながって一つの体となる。
それがイエス・キリストのからだ、とたとえられる教会の姿です。
”弱さ”というと不必要なもの、強制され、変えられなければならないもの…と思いがちです。
でも聖書は、はっきりと「かえって必要なのです」と明言します。
強い人はおごることなく、弱い人は卑屈になることなく、お互いがいて、初めてキリストのからだ、教会なのだ…と、知ることができれば感謝です。
- 祈り 神さま。わたしたちの教会にも、弱い存在、弱さが与えられていることを感謝します。「弱い存在が必要なのです」。そう自信をもって言える教会でありたいです。