つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
(コリント第一の手紙15:44)
当時まだイエスさまの復活の証言者たちのお話を聞くことができた人たちのあいだにも、自分たちに復活があるのか? どんなふうなものなんだ?というような論争があったようです。
わたしたちが知らなければならないのは、イエスさまが復活されたように、わたしたちも復活のからだが与えられるのだという約束です。
語られている「霊の体」について霊的想像力を働かせましょう。イエスさまは、人として来られて十字架で死なれ、そして復活の初穂(今まで人が経験したことのない復活の最初の人)となってくださいました。
いつの日か、イエスさまを信じる人は、同じように復活のからだに変えられる。その約束を受けとめているのがクリスチャンです。
- 祈り イエスさま。あなたが体験された復活。その受けらえた栄光のからだをもって弟子たちに、そして今の私たちに証ししてくださっていることを感謝します。わたしたちに与えてくださる栄光のからだのゆえに心から感謝します。