あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
(コリント第一の手紙10:13)
「試練」辞書で見ると「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。また、その時に受ける苦難」とありました。
自分の実力を試される…、思わず全身に力が入る。…そんな風に連想されますが、聖書的には少しニュアンスが違うかな…と思います。
わたしたちが試練の中で、そこで苦しみを知っていてくださる、共におられる神を心から認める。試練の中で神さまにすなおに祈り、そして頼ることができる。それがある意味、試練を通してわたしたちに与えられている気づきであり慰めではないでしょうか。
英語では「試練」を「誘惑」と訳しており、またニュアンスが変わります。
神さまから目をそらさせ、自分の力や神以外のものに頼る…ように誘惑するものがあるとすれば、そこで私たちの素直な信仰が試されているのかもしれません。
このコロナ禍という試練の中での信仰生活、礼拝生活で、良い気づきが与えられることを祈ります。
- 祈り 主よ、いつも私と一緒にいてくださる真実に心をとめます。どうかわたしの心がいつもあなたに置かれ、あなたの恵みを求めて生きる者としてください。