主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
(箴言 1:7)
「主を恐れる」とは、主である神を恐怖するという意味ではありません。
もちろん、罪を犯し、神に背を向ける者にとって神は恐ろしい存在かも知れません。
しかしここでは「神を神としてふさわしく認め、崇める」という、つまり「礼拝」をそのものを語っています。
礼拝することが、私たちにとってかけがえのない生きる力、「知識の始まり」なのです。
神を恐れること、礼拝を通して神の知恵に耳を傾ける幸いを知っていただければ感謝です。