しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
(イザヤ書 53:5)
聖書は、救い主の苦しみを、「われわれのため」とはっきりと語ります。
いかがでしょう? だれかの苦しみを感じることや共感することが、しばしば困難なように、
イエスの十字架の苦しみ、悩み、痛みをどれほど「わたしのためなんだ」と、本当にわかるでしょうか?
わたしはクリスチャンホームで育ちましたが、「わたしのため」と心から気づいたのは大学生の時でした。
自分自身の罪の深刻さとともに、その罪に心痛める神さまの悲しみを気づかされ、…本当に泣きました。
そうしてようやくわかったんでです。「その苦しみを通して私たちは平安を受け、また癒されている」と。
すべて、自分の力ではなく、神さまが与えてくださった恵みです。
この恵みはあなたにも備えられているとわたしは信じています。
だから祝福を祈るのです。