互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
(ガラテヤ人への手紙 6:2)
どうなのでしょう。ある人は、自分の重荷について、他人に知られることを嫌がります。
またある人は、自分は助けてほしいが、人の重荷にまでは心が至らない方もいます。
「互いに」という時、”自分の痛みに触れてもらう”、”相手の苦しみに触れていく”…ということです。
神のひとり子イエス・キリストは、わたしたちの心とその重荷に触れるために、来てくださいました。
私たちの罪の重荷を背負う十字架を前にして、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。…私と一緒に目を覚ましていなさい」と自分の悩みを吐露し、弟子たちに「一緒に…」と招いておられます。
そこにイエスさまのありのままの心があります。
「互いに愛し合いなさい」というキリストの戒め(律法)。そこには、お互いに心を許し、そして触れる…そういう交わりへの招きがあるのです。
- 祈り どうか、わたしが愛されることに、そして愛することに心を開いていくことができるように、触れてください。