イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
(申命記 6:4)
おそらく日本人は、古くから自分の”神”を選べる文化の中にあります。
いわゆる”八百万の神”の中から、その状況や好みに合わせて神をチョイスし、またその都合によって選びなおすことができます。時には、都合に合う”神”をつくりあげることさえ…!?。
なんだか、すごくいい!?…という方もおられるでしょう。
だから日本では、宗教が原因での争いがないんだ…などとも言われます。
ここまで記してきて、改めて思います。そんな「都合で作れたり、選べたりできる神」が、はたして”本物”と言えるのだろうか?と。
”神が本物であるかどうか?” それは、重大な問題です。
かつてイスラエルの指導者ヨシュアが民に向かって語った言葉を思い起こします。
「もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」(ヨシュア24:15)。
この言葉、あなたはどう聞こえるでしょうか?