はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
(ヨハネ12:24)
人の救いのために、自分の命を犠牲にする。イエス・キリストの十字架の死を象徴する言葉です。
才能や時間を、自分の利益だけのために用いるところに、本来の喜びはありません。いのちは、神から与えられ、ゆだねられているものだからです。
神が与えてくださった「使命(いのちをもちいる)」を意識する人は、すべてを自分の益のためではなく、神のため、人のために用いようと努力します。
そしてそこに、喜びを見いだすことができるのです。
あなたはいかがでしょうか?
- 祈り イエスさま、あなたに倣い、こころから神と人を愛して、与えられているものを用いていくことができますように、導き、祝福してください。