あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
(ガラテヤ人への手紙3:29)
「もしキリストのものだとするならば…」 それは、キリストとの霊的なつながりを意味しています。
この方を、自分の救い主として心から信頼し受け入れるときから、わたしたちは、約束された永遠の相続人とされる、というのです。
それは、決してお金や権力で自分のものとすることはできません。
むしろ、どんな人でも「イエスさまは、わたしの救い主です」と心から認め告白するならば、このつながりの中に入ることができます。
それは、また自分とその人生は「キリストのものです」という告白でもあります。
片足だけ足を突っ込んだ、”片足だけのクリスチャン”というものはありません。
もちろん、わたしたちは不十分・不完全なものなので、どうしても失敗や過ちも犯します。
それでも、あなたとあなたの人生がキリストのものであるならば、あなたの悔い改めと、そこからささげる祈りは聞き入れられます。
牧師であるわたしもまた、自分の不十分さに悩みます。けれども、「私はキリストのものです」と告白して、すべてをキリストにゆだねることができるのです。
そうやって生きる、わたしたちは主の守りの中に置かれているのです。
- 祈り 主よ、あなたがわたしの救い主です。どうかわたしの人生の中で、あなたが中心でいてください。過ちへの気づき、またへりくだりを与えていてください。主キリストさま、わたしと私の歩みは、あなたのものなのです。