わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★価値観、考え方が問われます

大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます。
(テモテ第二の手紙2:20)
この聖書の御言葉から、神さまの「貴い働きに用いられたい」という願いを持つことは良いこです。
一方で、何を「貴い働き」とし、なにを「普通・卑しい(新改訳)働き」とするのか、自分の価値観、考え方が問われます。
わたしたちは、この世の仕事や職業、立場や身分などをの評価をうのみにしやすいのです。
聖書は、いかなるところであろうと、わたしたちが置かれているところ、遣わされているところに神さまのみこころとご計画があることを信じて歩むことを教えてくれています。
イエスさまのこの地上での歩みは、どう人に評価されたでしょうか? そしてイエスさまはどのように歩まれたでしょうか?
へブル12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
世の中や人ではなく神さまのまなざしに耐えうる忠実な歩みを心がけていければ感謝です。
  • 祈り イエスさま。あなたの歩みはわたしたちの信仰の模範です。どうか遣わされゆだねられた働きに忠実なものとなることができますように、わたしの思いをただし、清めてください。