くじは膝(ひざ)の上に投げるが、ふさわしい定めはすべて主から与えられる。
(箴言16:33)
聖書を読んでいて、このくじで決めるという行為は、昔からあったんだと驚きました。
わたしたちが”くじを引く”という行為で、何を意識しているのでしょうか?
ある人は、くじを引くことで、”偶然の結果”が自分の人生を導いてくれるのではないか…と期待します。ある人は、そのくじの背後に何か神秘的な存在の働きを思います。
聖書で、くじを引くとき、そこに神さまの介在を認めているということ、そして、「どうか神さま、導いてください。わたしはそれに従います」という、敬虔な祈り心があります。
いわゆる神秘的なものであり、またそこには信仰の従順が必要となるのです。
聖書は、「ふさわしい定めはすべて主から与えられる」と表現します。
ある人は、祈りつつくじを引きながら、その結果を見て「ああ、ただの偶然だから」と自分の都合に合わせて、受け入れたり拒絶したりすることもあります。果たしてそこで神さまを認めているか問われる。
だから、もし祈りつつこのくじを引くということで、わたしたちの神さまを認める心の態度が探られるのです。
- 祈り 神さま。わたしの人生が神さまの導きの元に置かれていることを感謝します。あなたの御言葉と導きに、へりくだって耳を傾け従うことができるように、わたしたちを祝福してください。