義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
(マタイによる福音書5:10)
そのまま11節では「わたしのためにののしられ…」と続く。
クリスチャンとしての信仰の歩みにおいて、愛をもって善いことをしていれば、皆から好意を持たれる…という面だけではありません。
現実に周囲にサタンの働き、悩み、不理解などがあり、敵意を向けられることもあります。
イエスさまが地上を歩まれ、貧しい人に寄り添い、病の人を癒され歩んだ時、多くの人の好意も得ました。一方で多くの人の敵意の的ともなった。
イエスさまを十字架につけたのは、もっとも宗教的な人たち、良い人と自負する人たちだった。
周囲の声や惑わしで、わたしたちの心が迷いや恐れを感じる時、聖書を通してイエスさまを見つめ、その愛を受け取って、さらにイエスさまを愛する思いを新たにすることです。
イエスさまの切なる願いは、その敵意を持つ人さえ救われることだったのですから。
- 祈り 主よ、あなたの思いに、いつでも心を重ねて歩むことができますように、日々わたしに気づきと諭しをお与えください。何よりあなたに愛されていることを深く味わい、わたしたちもまた愛する人としてください。