「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」
(出エジプト記33:14)
約束の地にイスラエルの民を率いて歩むモーセの心からのとりなしの訴え。それに対して神さまが語られた言葉です。
モーセは神に忠実であると同時に、民に対して誠実でした。
それは、どんなに欠点があり、不誠実な民であっても、彼らをとりなして祈りました。
わたしたちの環境の中で、心に批判やさばきを持ちやすく口にしやすくなっているかもしれません。
しかし、神さまは私たちをそこにおいてくださっているのは、そうではなくとりなす者として、誠実な者として仕える者としてではないでしょうか。ちょうどイエスさまもまたそうであったように。
マルコ10:45「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。
神さまは、その歩みを顧みてくださり、わたしたちと共にいて歩んでくださり、安息を与えてくださるのです。大切なのは、神さまの御心にかなう誠実な歩みです。
- 祈り 主よ、今日あなたがわたしに気づきを与えて下ったことを感謝します。わたしたちがこの時代で救われたのは、この中で生きる人々の救いを心から願い求めとりなすためだとわかります。どうかわたしの祈りをきよめてください。