施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
(マタイによる福音書6:3)
「承認欲求」というもの。他人から自分を価値あるものとみてもらいたい…自分のやったことを認めてもらいたいという思いです。
それは悪いことではありませんが、行き過ぎると、そのよい行いの中心に自分が居座ってしまいます。そうなると、評価されない時にはいらだちやギスギスした思いが募ってしまいます。
だから、わたしたちの他人に向けての施しや善い行いは、ただ自分が受けている物への感謝と愛によってなすことができます。
誰が見ていなくても、神さまが私たちをちゃんと見ていてくださることに安心と満足を見いだすことができれば感謝ですね。
- 祈り 主よ、わたしの心の純真さを探ってください。他人へ見せるためではなく、神さまに見守られていることの安心感と感謝を知ることができますように。