神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
(コリント人への第二の手紙7:10)
悲しみの理由は、喪失や、思った通りにならなかったこと、自分を否定されたこと…などいろいろあります。行き過ぎると、耐えきれず、自分自身を消し去りたいほどになることもあります。
でも神さまは、わたしたちをその大きな愛の中で十分に悲しむことができるよう覆ってくださいます。悲しみの中で時には自分の足りなさに気づき、罪深さを思うこともありでしょう。
わたしたちはそんな時十分に悲しむことで、自分の気持ちと歩みを整理し、また、何よりも神さまの愛の大きさ、深さを知ること、そして慰めと癒しを経験できるのです。
イエスさまは言われました。「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」(マタイ5:4)
- 祈り 主よ、わたしは自分の悲しみにおぼれて終わるのではなく、その悲しみを覆い、傷をいやし、慰めを与えくださる神さまを知ることができます。この経験は、とても大切なもの、そして祝福です。心から感謝します。