更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。
(イザヤ書58:7)
前節の「 :6 わたしの選ぶ断食とはこれではないか。…」から続く言葉です。
ただ「食べない」という断食が、宗教的パフォーマンスで終わらないように、そこから本当の意味と歩みを説いています。
それが身近にある貧しい人や苦しむ人への愛と配慮を忘れてはいないか…という問いかけです。
この「慈善」も、心のありさま次第でパフォーマンスに陥りやすい中、その心を神が見ておられ、その真実な歩みがあれば神さが祝福してくださることも語りだされます。
まず、神が慈しみをもって自分に与えてくださっているすべてを感謝し、そしてそれはほかの他人のために用いるものとも知ることができれば感謝です。
- 祈り 主よ、あなたが日々くださる食卓を感謝します。わたしたちが与えられているものを用いて、わたしたちが人のためにできることに気づきを与えてください。