信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
(ヤコブの手紙2:17)
イエスさまを信じていることは、言葉や態度や行いによって外に現れます。
本当にイエスさまを信頼して、その言葉と思いをいただいて歩んでいることをからもわかるようになります。
行い、応答が伴わないところにあるのはただの知識。そこには自己満足すら得られません。
それは、「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」とイエスさまに問うた律法学者にも似ています。かれは正しい知識を持っていました。でもそこに信仰による行いがないために確信も安心もなかったのです。そこでイエスさまは、よきサマリヤ人のたとえをお話になりました(ルカ10:25以降)
わたしたちの礼拝生活をただのパフォーマンスに終わらせないことは大切です。
- 祈り 主よ、わたしを信仰によって生きる人、信じたように歩む人としてください。