主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め。
(箴言9:10)
古来から続く日本の文化、信心の中にも”神仏を恐れる”という考え方があります。
さまざまな自然に宿る神秘的存在を崇めて尊ぶということ。それは人の心を魅了する美しい”考え方”です。
ただもし、考え方ではなく、事実としてこの天地万物の造り主なる唯一の神がいらしてその自然のすべてをもその配慮と知恵をもって保っておられるとするならば、崇めるべき対象は変わってきます。
聖書はこんな風に語ります。
ローマ1:20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。
外国の神、日本の神と分けるのではなく、この宇宙と大自然をこれほどまでに精巧に造り、わたしたちを生かしてくださっている唯一の存在に、へりくだって心を向けることができれば、どんなにか幸いでしょう。
- 祈り 天地万物を造られた創造主と呼ばれる神さま。わたしたちが見ることのできるこのすべての自然・宇宙を通して、あなたの計り知れない知恵と力に感動し、そしてあなたを心から上がることができますように、気づきと諭しを与えてください。