わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★わたしの目は開かれているか 

 

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンをとり、賛美の祈りを唱え、パンを裂(さ)いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
(ルカによる福音書24:30-31)
 

復活のイエスさまとともにエマオへの道を歩いた弟子たち、その最後の最後に目が開かれてイエスさまに気づくという物語です。

わたしは毎回ここで自問します。自分の目は開かれているだろうか…と。
現実に弟子たちの心とその目は、十字架の出来事をめぐる混乱と悲しみ、失望によって塞がれていました。

イエスさまと共に歩き、御言葉の説き明かしを聞き、そして賛美とともに食事を共にする。これはまさに礼拝のありさまを示しているかのようです。

見えているようで見えていない…。でも主の特別な臨在と取り扱いが、礼拝の現場にあります。復活の主は、わたしたちに気づきを与え、目を開いてくださるのです。

  • 祈り イエスさま。日常でわたしたちの心を曇らし揺るがす、さまざまな出来事があります。どうかわたしの心の目を開いてください。どんな状況・環境下でも主が共にいてくださり、あなたが知っていてくださり、そのご計画があることを信頼することができますように。主よ、どうかわたしの信仰の目を開いてください。  
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