十分の一の献げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと、万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう。
(マラキ書3:10)
十分の一献金は、税金でも、負担金でも、また義務でもありません。
また人より多く献げることや、その自分が称賛されることが目的でもありません。
静かで誠実な神への信頼です。神の御言葉の約束であり、またその御言葉への応答です。そして神が、はっきりと「窓を開いて祝福を限りなく注」いでくださることへの期待をあらわすものです。
献金をするとき、教会の中でさまざまな目的や理由が挙げられることがあります。
聖書の中でも、神殿や会堂を建て上げ、祭司職や聖職者たちを支える意味でもささげものが勧められます。それもとても大切です。
しかし、十分の一献金は、そういう目的の別に置かれます。
明確な神さまからの祝福をめぐるチャレンジだとわかるからです。
「神が」祝福してくださるという、神さま主語の生きざまへの信仰の招きだとわかります。
- 祈り 主よ、わたしは今、世間的に収入が多く豊かな者とは言えません。けれども、わたしはあなたに十分の一をささげます。あなたが天の窓を開き、はかり切れないあらゆる祝福をくださることを信じます。