「今、お前たちは、この神殿を、廃墟のままにしておきながら自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。…」(ハガイ書1:4)
捕囚から帰還したユダヤ人たちは、当初再建しようとしていた神殿建築を放棄してしまいました。
その一つの大きな理由は、自分たちのことに忙しすぎて、神さまに心も時間も向けることをしなかったということです。
まず「…でよいのか」という問いかけは、命令や強制からではなく「気づき」からの行動を促すためでした。さらに自分たちが経験している状況の背後に、神さまを後回しにしていたことへの気づきをうながします。
今、万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。種を多く蒔いても、取り入れは少ない。食べても、満足することなく… それは、わたしの神殿が廃虚のままであるのに お前たちが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ。…
(:5-11抜粋)
わたしたちはまず神さまに心を向けて従い歩むべきことを促されていることをこの人々の経験からも学びなおすことができれば感謝です。
- 祈り 神さま、あなたの言葉にわたしの思いのゆがみを気づかされます。まずあなたに目を向け聞き従う者としてください。