大酒を飲み、身を持ち崩す者は貧乏になり惰眠(だみん)をむさぼる者はぼろをまとう。
(箴言23:21)
「身を持ち崩す」、初めからそうではなく、だらしない生活の末に立ち上がることができなくなるありさまは、わたしたちも気をつけるべきことです。
ある意味わかりやすいこと。しかもこれは数千年前から言われ続け、今も見られることは人の罪の深刻さを示しているでしょう。
イエスさまは、放蕩息子のたとえを語りました。放蕩息子はそのどん底から父を思い起こし「我に返って…」父のもとに帰っていきました(ルカ15:11~)。
自分が身を寄せるべきところ、頼るべき存在に気づくことができる人は本当に幸いな人です。
「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。」(使徒3:19)
- 祈り 主なる神さま、わたしの心と歩み、そして時間が、誘惑や惑わしによって支配されないように、どうぞ気づきを与えてください。