それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われている通りです。
(ガラテヤ人への手紙3:6)
パウロが主張し、また宗教改革者ルターが聖書を通して強調した「信仰義認(信仰によって義と認められる)」という福音の呼びかけです。
そしてそれは旧約聖書のアブラハムの時からの事実だと示されています。
しかし、それがしばしばゆがめられます。
例えば、それに加えて割礼を受けなければ救われない…、何かをしなければ救われない…、何かを買わなければ救われない…などと主張するのです。今日の異端のありさまでもあります。
パウロは、そんな傾向を持ったガラテヤの人たちを嘆いてこう書き送っています。
ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。(ガラテヤ3:1)
今、信仰によって救われるということは、キリストを通してなされた神の救いの御業の完全さを、ただ信じることです。神がくださった大きな恵みの世界にはいることでOKです。その信仰が私たちに安心を与えてくれます。
- 祈り 神さま、あなたがくださっている愛と恵みの世界に身を置いて、救いの安心を得ることができることを感謝します。この安心をもってあなたと共に歩みます。どうか御言葉をもって導いてください。