いかに幸いなことでしょう。主よ、あなたに諭され、あなたの律法を教えていただく人は。
(詩篇94:12)
「諭され」という言葉を、「懲らしめられる」「痛い目に遭う」と訳すものもあります。
つまり、そのことを通して、主にある大切な気づきを与えられるということです。
しばしば人は視野が狭くなり、自分のやり方と正しさしか見えなくなっていることがあります。
これが最善なのに、正しいのに、なぜわからないんだ…という風に思うことがあるかもしれません。
そんな時、主の諭しを受けることは幸いです。
わたしではなく、神さまの大きな澄んだまなざしの中に入れていただけることで、わたしたちはああ、神はこういうことも見ておられた、知っておられたんだ…という感動と安心を得ることができるでしょう。
今日の個所の続きを聞きましょう。
:13 わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです。(新改訳)
- -祈り 主なる神さま。今日一日のはじめにあなたの大きな守りと祝福に入れていただいていることを思いました。どうかあなたの御手でわたしを導いてください。もしわたしの視野が狭くなり、かたくなになっている時には、あなたの懲らしめでわたしの心をやらわ下てください。