★人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
(マタイによる福音書16:26)
征服という野望やゆがんだ力や権力への志向というものは、いつの時代にも存在します。
自分が豊かになることを求めて、お互いに削り合い、奪い、搾取し合うという情景も繰り返されてきました。
そんな中、聖書はいつも、小さく貧しく弱くなられたイエスさまを指し示して言います。
ご自分の命をも”与えるため”にこの地上を歩まれた神がいる。この方こそ救い主ですと。
「自分の命を失ったら」、それは永遠の滅びに至ってしまっていいのですか…との問いかけです。
:24-25「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。…
イエスさまはわたしちに、「永遠のいのち」を語り、永遠につながる祝福と安心を得る歩みに、御自分の姿を通して示してくださいました。
本当の救いと祝福の道を見誤らないことです。それは人の価値・標準のもとにはなく、イエスさまが示してくださるものです。
- 祈り イエスさま、わたしは今あなたの言葉と十字架の救いを知ることができありがとうございます。自分を中心とした志向から、イエスさまの思いと愛に生きる者としてください。小さなわたしたちですが、あなたの永遠の祝福をもって歩みを正し、導いてください。