神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」。
(出エジプト記3:14)
寿命があり、親がいて自分がいる。生きていくための環境が必要…という風に、さまざまな制限つきのわたしたちにとって、「わたしはある」というように何にも制限されない永遠を生きる神さまの存在は、理解を超えています。
そんな神がモーセを通してイスラエルの民を愛し、救う神としてご自身をあらわしています。そして事実神さまは、その偉大な御業をもってイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い、そうしてその守りの中に生きる祝福をくださいました。
今、わたしたちもまたイエス・キリストの十字架と復活を通して神の愛と救いを知り、またその愛の中に生きるようにと語られています。
「わたしはある」という方を分析するのではなく、その神のくださる愛の中に生きることが大切だよ、と教えられています。
わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。(1ヨハネ4:16)
- 祈り 神さま、あなたの愛の大きさと真実は、わたしの理解や思いを超えています。わたしはそのあなたの愛につながって生きることを大切にします。どうかわたしを導いてください。