こうして律法は、わたしたちを導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
(ガラテヤ人への手紙3:24)
日本人が、周囲の目を気にして善悪を判断して行動を抑制するという同調圧力。
良い面がある一方、時々それが行き過ぎやゆがみを生むということも話題になります。
「養育係」としての律法も、いつの間にか、律法に良く生きるべき道を求める人に、裁きと縛りが強調されるようになっていました。
イエス・キリストの福音は、そんなわたしたちを、霊的に、つまりわたしたちの根っこから新しくして、律法の支配下ではなく、神さまとの祝福の関係に入れてくださるのです。それをこう記しています。
:25-26 しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。あなたがたは皆、信仰により、キリストイエスに結ばれて神の子なのです。
このイエスさまのもとで、ゆるされ、守られ、安心をいただき、イエスさまのくださる命と希望を持って生きる神の子とされる、それが信仰によって救われた人のありさまです。
- 祈り 主イエスさま、あなたを通していただく神の子としての安心と祝福を感謝します。自分の足りなさも、不安も、あなたと一緒に歩むことでおおわれ、癒され、そして変えられていくことを感謝します。