「…神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
(ヨハネによる福音書4:24)
わかりやすく言うと、神への礼拝は、形や儀式、うわべではない…、その心と、”なにを信じているか”が問われます。
「鰯(いわし)の頭も信心から」ということで、何にでも手を合わせることを説くことわざもありますが、そこで注目されているのは、人が”信じる心さえあれば”ということです。
ただ、”鰯の頭 礼拝”では、人は救われません。いや、わたしは救われません。
わたしたちを救い得る まことの神さまに目が向けられ、この方の福音こそが信じるべきものとして大切です。
この神さまは、わたしたちの時間と礼拝をささげるにふさわしい方だと、わたしは信じます。
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。わたしは、あなたとあなたのくださっている福音を信じる者としていただいています。わたしの心の目を開いてくださり感謝します。どうかこれからも、あなたをもっと親しく知ることで、心からあなたを礼拝する者としてください。