次のように書いてある通りです。「正しい者はいない。一人もいない。…」
(ローマ人への手紙3:10)
この言葉は議論するために聞くのではなく、このことに気づくことではじめて、わたしたちはキリストのもとに行くことができます。
ある時イエスさまは、「自分を正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して」、神殿に昇ってきたパファリサイ派の人と、当時人から忌み嫌われていた徴税人の人の祈りを、たとえとして取り上げました。(ルカ18:9-14参照)
ここでは、徴税人の姿を取り上げます。
ルカ18:13 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
イエスさまは、神から義とされてのはこの徴税人だ、と示し、最後にこう言われました。
ルカ18:14 … だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
なかなかへりくだれない…。それもまたわたしの内の罪(正しくない思い)です。
だから、自分が罪びとであることに気づかせていただける幸いを知ってください。
そうして神の恵みによって赦しをいただき、義と認めていただく。それが神さまがわたしたちに望み、いただくことのできる福音の祝福です。
- 祈り わたしの心、わたしのすべてを知っていてくださる神さま。わたしのうちに気づく心を与えてください。あなたのゆるしと癒しをうけとり、本当の意味での安心と喜びを得ることできますように。