しかし、わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る。
(ハバクク書3:18)
周囲の悩みに満ちた状況の中にあって、ハバククはまっすぐ神さまに目を上げて「しかし、わたしは主によって喜ぶ」ことにしたと表しています。
信仰者の喜びの源は、「主によって」です。パウロはこう語ります。
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。…主はすぐ近くにおられます」(ピリピ4:4-5)
全宇宙を造られた方が、わたしを心にかけていてくださる。わたしはこの方と共にいるという安心が、その視界を、神さまのくださる安心へと広げてくれます。
現実に、先のパウロは牢獄という否定的な環境から、「喜び」を伝えています。
「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」 (ピリピ4:6-7)
- 祈り 神さま、わたしはあなたを喜びます。あなたがわたしを心に留めていてくださり、今日もこの御言葉を与えてくださっているからです。今日もあなたと共に歩みます。どうか、あなたの安心を満たして導いてください。