めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
(ピリピ人への手紙2:4)
他人のことにも心を向ける、それはキリストの心が伝わっていく経験となります。
信仰生活に絞って話をすると、日曜ごとの礼拝生活が、”自分のため”、”自分が恵まれるため”だけのものであれば、それは”自分のため”だけで終わりです。
でも、そこには礼拝を共にできる友がいるので、共有する時間と互いの存在が、主のもとで祝福となります。
そして「とりなしの祈り」。それも気をつけないと「祈っている自分」が強くなりすぎてしまいます。
祈っている相手が自分の思った通りに動かない、応えてくれないと、いらだつことさえあるからです。
キリスト・イエスの心をいただくことは、お互いを想いへりくだることです。それがその心を広げるカギとなります。直前にこうあります。
そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、”霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え…(:1-3)
- 祈り 主よ、わたしの心を探ってください。自分中心、自分のためだけでなく、へりくだって周囲の人の思いに配慮する、柔らかな心を与えてください。