キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。
(ガラテヤ人への手紙1:4)
繰り返し読んでいただきたい、神さまの側からの真実な”恵み”を表す一文です。
それは、わたしたちの功績へのご褒美ではなく、わたしたちの汚れ切った罪のために犠牲を払われた方を示します。
だから、”恵み”と呼ばれます。
わたしの出来不出来で救いは左右されません。その恵みは、わたしたちのどんな不十分さをも覆い、洗い流す、キリストのみわざだからです。
わたしが救いを経験したばかりの頃、まだ頭は、自分が今日できたこと、できなかったこと、犯した過ちのひとつひとつに、自分を責め立てた覚えがあります。
「これでは、もう自分はだめなんじゃないか?」と。
しかし、イエスさまの恵みのもとにしっかり身を置いてわかりました。
わたしの弱さをもすべてご存じのキリストが、そのすべてを請け負って、十字架で苦しみ死なれ、この恵みを完成てくださったことを。
だから、わたしは今もどんなに不十分でも、「わたしは救われています」と言えるのです。これはどれほど感謝な事でしょうか。
- 祈り 主イエスさま。わたしはあなたからいただく、真実な恵みを心から感謝しています。いつでもどんな時でも、その恵みから離れることなく、あなたと共に歩む者としてください。