わたしの目の覆(おお)いを払ってください。 あなたの律法の驚くべき力に わたしは目を注ぎます。
(詩篇119:18)
しばしば「律法」を、イエスさまの時代の律法主義のゆがみと結びつけて、否定的なイメージを持ちやすくないですか?
そもそも律法は神さまが与えてくださった、神さまの思いを反映し、わたしたちを祝福の道を示す、とても良いものです。
心の目が、ある自己満足の覆いにおおわれてしまうと、それがゆがんだ律法主義となり、”それを守るわたしは偉い”という風に思うようになります。
本当は「律法」は、わたしたちは神さまの前に謙虚します。そして神さまを心から求める必要を知らせてくれます。
律法を通して、自分の不十分さを気づくとき、ああ、神さまはこんな弱いわたしを知り、わたしを導いてくださっていることにも気づきます。
さらに、その愛と憐れみはこんなにも大きいんだと気づかせてくれる。
それが「律法の驚くべき力」なのです。
- 祈り 主よ、わたしの目の覆いを取り払って、あなたの御言葉にあらわされているその愛と真実に気づくことができるよう、わたしの心をお取り扱いください。そうして今日、感謝と賛美をもって歩むことができますように。