そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、…
(エペソ人への手紙4:1)
「ふさわしさ」というものが”わかる”ということは大切ですね。
ここでは、この世の中基準ではなく、「神からの招きにふさわしく」です。
どういう歩みなのか。
「一切高ぶることなく、柔和で、寛容な心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、愛による一致を保つように努めなさい」(:3)
さてパウロは、今日最初に自分の身分を「主に結ばれて囚人となっているわたし」と自分を表しています。
主に結ばれることで、わたしたちは幸いを経験できます。そこではだれも偉そうになどできません。
むしろ、ただ感謝のゆえに、だれの前にあっても、へりくだった心と歩みが、わたしたちにふさわしい姿だ…とわかるのです。
そして、ふさわしい歩みこそが私たちの心身、そして霊的生活を健全なものとしてくれるでしょう。
- 祈り 主よ、あなたがくださる救いの喜びと永遠の御国の希望のゆえに、心から感謝します。どうかわたしに日々気づきを与え、あなたに結ばれたものとしてのふさわしい歩みができるよう導いてください。