主の契約の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、喜び躍るダビデを見て、心のうちにさげすんだ。
(歴代誌上15:29)
ダビデはその喜びを踊りをもってあらわす一方、その姿を、妻のミカルはさげすんでいた。
喜びを共にすることができない。思いを一つにできない夫婦の悲しいありさまを、聖書はわざわざ記しています。
「ダビデの妻」と呼ばず、「(前王)サウルの娘」と表現するところには、彼女の中にあるプライドが、愛すること、喜びを共にすることを遠ざけていたのだろうとわかります。
「見下ろし、そして見下す」、そのミカルの心は冷めきっていました。
夫婦関係に関わらず、わたしたちが関わる人との関係の共感や感動が、無自覚なプライドや見下す心で損なわれていることはないでしょうか?
自分のそのような心にいち早く気づくことは大切なことです。
- 祈り 主よ、わたしの心にあるプライドや無自覚に人を見下す心があるならば、どうぞ気づきを与え悔い改めに導いてください。すなおに信仰の友と共に、あなたの前に、感謝、感動、喜びを共にすることができますように。