生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
(ガラテヤ人への手紙2:20)
これまでも大きな災害がありました。
家族や生活を失い、泣きじゃくる人がいました。
現実に失いながら、苦痛を経験しながらも、お互いに助け合うことで、なにより”生きる”こと”生き抜く”を大切にしておられる方々がいます。
お互いの存在が生きる理由となり、また目的となる、人はそのように支え合うものです。
振り返って、クリスチャンのわたしたちはまた、わたしたちのために十字架にご自身を犠牲にされたキリストを思うことで、この方の愛を受け取り経験して”生きる理由、生きる目的”を見いだしています。
自分の中だけで”生きるちから”は完結しません。
パウロは「生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられる…」とキリスト経験を生きる力としています。
わたしたちの生きる力はここにあるのです。
- 祈り 神さま。わたしたちを愛し、わたしたちのために命をも捨ててくださった主イエス・キリストの愛を心から感謝します。ここまでわたしは愛していただいている。わたしには生きる理由を経験することができ、生きる力を得ています。今、イエスさまのように、喪失感や孤独で苦しむ人に、寄り添う力と愛を、わたしたちにも与えて下さい。