「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。
(創世記50:19-20)
父ヤコブの死後、兄弟たちは、ヨセフの仕返しを恐れました。
かつて自分たちが、ヨセフにした悪事の深刻さをよく知っていたからです。
一方でヨセフは、その恨み心を捨てていました。
かえって、そのいつくしみを、彼らとその子たちにも向けることを証ししています。
すべては、神さまが、ヨセフとすべての人に及ぶ神さまのご計画と善きみわざを経験して感動していたからです。
不当な仕打ちの痛み、悩みは、わたしたちの心は閉ざし視野が狭めることがあります。
しかし、そこでも、共におられる主なる神を覚えていてください。
「主に信頼して善を行え」(詩37:3)と言われる神さまは、すべてを通して益をなさるお方です。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマ8:28)
- 祈り わたしとわたしの人生のすべてを知っていてくださる神さま、あなたの慈しみと憐れみを心から感謝します。あなたは今も、わたしと共にいてくださいます。そのことを忘れることなく、まずあなたを信頼して歩む者としてください。あなたがすべてをその愛で覆ってくださることを、心から信じます。