さて、ケファがアンティオキアに来た時、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのものとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやってくると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしたからです。
(ガラテヤ人への手紙2:11-12)
割礼を受けているユダヤ人たちの中におかれて世間体を気にするようになった。それがケファ(ペテロ)が、異邦人の人々との食事から遠ざかる理由でした。
そのありさまをパウロは非難しました。
彼らが信じる福音においては、
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。(ローマ10:12)
そしてはっきりと神の力を主張するならば、
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。(ローマ1:16)
わたしたちも信じるところを、聖書の御言葉を通してはっきりと、そして大胆に言葉にできること。またその御言葉のとおり生きるようになることは大切です。
そこに、この神の福音によって自らも救われた、と感謝する者としての生きざまがあるからです。
- 祈り 主よ、わたしもまた世間体や周囲のまなざしで、しり込みしそうな時があります。どうかこの福音によって自分が救われたこと、この福音こそ神の力であることをしっかりと主張できる力を与えてください。