(バルナバはサウロを)見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
(使徒行伝11:26)
『クリスチャン』と自称するのではなく、「呼ばれるようになった」と記されていることは、とても幸いです。
それはイエス・キリストを愛し、その生きざまに倣い、その教えを大切にして、キリストのように愛し合う人々であったからです。
元ヤクザの兼光先生も、かつてその事務所で聖書を熱心に読んでいて、周囲にあきれられ、人々がその変わりようを認めざるを得ない者となっていたことを証していました。
パウロも、まだサウロと呼ばれていた時代、かつての迫害者としての印象を人々は知っていました。しかし、アンテオケでの宣教を通して彼もまたクリスチャンの一人であることを、周囲のすべての人が認めるようにされていたことがわかります。
わたしたちもまた、周囲に「ああやっぱりあなたはクリスチャンだったのね」と言われるような者とされたいな、と願います。
- 祈り 主なる神さま。わたしはあなたを心から愛します。あなた御言葉に聴き、あなたと共に歩みます。どうかわたしの言葉と歩みがあなたに喜ばれるものとなり、あなたの証しとなりますように、どうかわたしを祝福して導いてください。