主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく 人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人 主の慈しみを待ち望む人。
(詩篇147:10-11)
わたしが子どもの頃、男の子の魅力は、まず足の速さやケンカの強さでした。何かほかの人よりも秀でて目立った”力”に人は惹かれます。
それは、形はちがえ、大人になっても同じかもしれません。
天地を造られた神さまが好意をもって見てくださるものは違うことを示します。リビングバイブルではこう訳します。
しかし、主を敬い、その愛と恵みを待ち望む人々を、主はことのほかお喜びになります。
この歌の背景には、長いバビロン捕囚から解放され都を再建できた人々の喜びがあります。それは神さまの不思議な御手の導きと守りの中にありました。
そこで神さまは、どういうお方かを歌いあげています。
主を主として敬い、そのいつくしみを待ち望む人であることを忘れない、…わたしもそうありたいと願います。
- -祈り 主なる神さま、わたしたち自分の力や能力に対する評価を競う世の中に生きています。でも、わたしたちに大切なのは、神さまがわたしの何に目を向けていてくださっているか…ということです。わたしはあなたを、あなたの恵みを待ち望みます。どうかあなたの道を歩む者として祝福してください。