だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
(エペソ人への手紙6:13)
クリスチャンだからこそ、さまざまな惑わしを経験することに敏感になるでしょう。わたしたちもまた「邪悪な日」の中に置かれるのです。
知らなかった…では済まされません。
それはわたしたちの信仰をつまずかせ、混ぜ物にし、また奪い取ろうします。
わたしたちは、無防備ではなく、与えられている「神の武具」を用いて生きるのです。
パウロが生きたローマ時代をはじめ、今日に至るまでさまざまな時代の中、迫害や偽りの中で教会と信者は揺さぶられてきました。
たとえば今の私たちも「多様な価値観」という一見聞こえの良い言葉に囲まれて、信仰が削ぎ落とされるような中にあるかもしれません。
そういう意味で、わたしたちこそ「神の武具」が必要です。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なお、その上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことがd系るのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。:12-17)
- 祈り 天の父なる神さま。わたしたちがこの時代にあって、あなたを信じることを大切にして生きる者としてください。与えられている”神の武具”を装備し、大胆に用いる者とならせてください。