「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
(ヨブ記1:21)

ヨブの苦難。その最初は、子どもたち全員、そして財産のすべてを一瞬で失う出来事が彼を襲う、それが彼の経験でした。
ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地に触れして言った。(:20)
そのあと続く彼の言葉が、今日最初にあげたものです。
今年奥能登で、地震とその後の豪雨による辛い経験をした人々がいらっしゃいます。
「神も仏もない」とつぶやく言葉もありました。今もあるその現実の中で、下手な慰めの言葉はうわすべりしそうです。
聖書はヨブについてこう語ります。
このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。(:22)
クリスチャンも、ときに苦難を経験することがあります。
ヨブ同様、その意味も理由も、わからない。また事態や心が落ち着くのに時間がかかることもあります。
それでもなお、ヨブと同様、わたしたち信仰者にとっても神の真実は、変わりません。
神の愛と真実こそ、わたしたちの心と命のよりどころです。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 (ローマ5:3-5)
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。わたしたちはこの人生で、いろいろな試練、悩みを経験することがあります。でもわたしは言葉にすることができます。「神はわたしを知っていてくださる。共にいてくださる。神は真実である」と。感謝します。どうかこの痛みに耐えるために、わたしの弱さを覆い、痛みを和らげ、あなたの慰めから希望を知ることができるようにしてください。