「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。…」
(ヨブ記4:17)
苦しみの中なるヨブを慰めるつもりで発した友人エリファズの言葉です。
当たり前のことを言っているようで、それはヨブを責める言葉ともなりました。
信仰者の交わりを考えさせられます。
「ひとこと言わないではいられない」「言ってあげないといけない」…という使命感から”正しい”ことを語ることが、相手を追い込むこともあります。
わたしたちの言葉もそうかもしれません。
神を教えることよりも、ともに神さまのまえで、その御言葉の慰めを受ける…ことを大切にしたい。
牧師でありながらも、言葉で失敗しやすいわたしは、そう思わされています。
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただく慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(2コリント1:4)
- 祈り 主よ、愛する方々とともに、あなたの御声に”共に”耳を傾ける、そういう者としてください。ともにあなたからの慰めを受ける、そういう恵みの共感をわたしたちの内に与えてください。