それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足します。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント人への第二の手紙12:10)
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自分の「弱さ」こそが、神の力が現れる機会となります。
パウロは、心が病んでしまうほどの経験、つまり侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりの状態の中で、キリストの力を経験しています。
「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。」(:5)と語るパウロは、また「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と語るのです。
自分の力を握りしめながら、「自分は弱いから…」と言うのではありません。
自分の力への依存を放棄してキリストにすべてをゆだね、そうしてキリストの御業を見る。
そういう経験が信仰生活の祝福と知ることができれば感謝です。
- 祈り 愛する主よ、あなたの恵みのもとでわたしを導いてください。困難や悩みがせまってくるとき、わたしの内にある力の限界を感じています。いや弱さを覚えます。どうかわたしのこの弱さを通して、あなたの偉大な力をあらわしてください。