わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★祈ってくれている人がいます

アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

(創世記18:32)

”ソドムとゴモラの罪が非常に重い、という声を確認するために来た”という主を前に、アブラハムはその町の人々のために、しつこく食い下がり、とりなします。

「正しい人が50人」、45人、40人、30人、20人、いや10人…という風に。

確かにその町には、おいのロトとその家族がいたこともあるでしょう。でもそのことには一切触れず、その町の人々のためにとりなしています。
そこに本物のとりなし人のありさまを学びます。

昔も今も、見知らぬ私たちのために祈ってくれている世界の人たちがいることを、忘れないでいてください。
そしてわたしたちも、世界に向けて、またこの地のために”とりなす祈り人”として召されていることを忘れないでいてください。

 この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中に探し求めたが、見いだすことができなかった。(エゼキエル22:30)

このように言われることがないように。

  • 祈り 恵み深い天の父なる神さま。あなたはわたしたちの救いのために祈ってくれていた人たちをご存じです。またわたしたちのとりなしの祈りをも覚えていてくださいます。どうか、まだあなたの救いを知らず、道を外れた人々が福音を耳にし救われることができますように、あなたの祝福を与えてください。
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