アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
(創世記15:6)

昔々、そんなことがあったんだ、というお話ではありません。
この言葉は、のちに新約聖書で数度にわたり引用されて「信仰による義」、つまりただ神を信じることで、神さまに義と認められることを示します。
そして、今も、神はわたしたちの「信仰」を見ておられるのだと表しているのです。
アブラムは、夜空に輝く無数の星を見せられ、「あなたの子孫はこのようになる」(:5)という言葉を信じました。
わたしたちはキリストの十字架と復活を聴きそれが、神がわたしの救いのためにしてくださったことだと、信じて救われています。
さらにいただいている、数々の約束をもわたしたちは信じて生きています。
一つ一つの言葉を大切にしましょう。「わたしは主を信じた」と言われるように。
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16:31)
- -祈り 主よ、わたしはあなたを心から信じます。あなたの十字架と復活による救いを、約束された祝福を。どうか聖書に耳を傾ける時、わたしたちの心に深い悟りと共に信仰をも与えてください。